怪人トールマンは幸せの使者!?
2012年のアメリカ映画
主演者はジェシカ・ビール, ジョデル・フェルランド, スティーヴン・マクハテ
子供の真の幸せを考えるサスペンス
こんな人にオススメ!
・子供にとっての幸せを考えたい
・すっきりしない話でも大丈夫
・考えさせられる話が好き
プライムビデオ「トールマン」が5分でわかる!
あらすじ
消える子供達
コールドロックの街は、鉱山の閉鎖以来急激に寂れており、子供が姿を消す事件が相次いでいた。
街郊外にある案山子トールマンの仕業という者も現れ、街はもう終わりだと人々は囁き始める。
そんな時、診療所を営み看護師ジュリアの息子デビットが何者かに連れ去られる。
ジュリアは犯人のトラックにしがみついて必死に後を追うが、運転を誤った犯人は事故を起こしトラックは横転、デビットは犯人に連れ去られる。
意識を取り戻したジュリアは足跡を追って森に入るが見失い、ふと見上げるとそこにはトールマンの案山子があった。
デビットの行方
道路に行き倒れたジュリアを刑事が見つけダイナーに送り届ける。
しかしダイナーでデビットの写真を見つけたジュリアは不審を感じて裏口から逃げる。
ダイナーの客たちは全員ジュリアを疑っており、一斉に武器を取ってジュリアを追う。
ジュリアは廃墟ビルでデビットを見つけるが、デビットはそこにいた女を母親と呼んでおり、ジュリアを他人のように見ていた。
女は自分がデビットの母親で、ジュリアがデビットや子供たちをさらって洗脳したという。
女に子供たちの行方を問われたジュリアは、トールマンに渡したと答え殴られる。
デビットはその場から逃げるが、言語障害にある少女ジェニーに見つかり、ジュリアに引き渡される。
ジュリアの目的
家庭が荒れているジェニーはトールマンに攫われたいと思っていたが、ジェニーを巻き込みたくないジュリアは嘘をついてジェニーを帰す。
翌朝家にジュリアは警察に逮捕され、街の住人たちから非難を浴びる。
家の地下は広大な鉱山跡に続いており、ここに子供を隠したのなら捜索に20年はかかると考える。
警察の取り調べで、ジュリアには死んだ夫がいたものの子供はおらず、誘拐した子供たちを子供部屋と呼ばれる場所に閉じ込め世話をしていたことがわかる。
さらにジュリアは貧困に覆われた街では子供たちに未来がないと考えていた。
役所にも訴えたがどうにもならず、腐敗した社会システムから子供たちを希望を与えるため誘拐したとデビットの母親に話す。
貧乏なジェニーの家では今日も両親が喧嘩し、家庭は荒んでいた。
そんなジェニーの元に突然トールマンが現れ、ジェニーを攫って女性に引き渡す。
トールマンの正体は亡くなったはずのジュリアの夫で、女性からの金銭の受け取りを拒否し、また別の場所で子供を攫うと言い残しその場を去る。
幸せのかたち
女性の元で新しい名を与えられたジェニーは、都会の裕福な家庭で育てられる。
この家庭ではジェニーは化粧をすることもでき、絵画学校に通わえてもらい言語障害も回復した。
同じ街でジェニーはデビットも裕福な家庭に育てられ、幸せそうにしているのを見かける。
しかし洗脳期間がないまま引き渡されたジェニーには本当の両親の記憶が残っており、心の片隅にひっかかりを覚えるのだった。
レビュー・考察
この映画がホラーだといつから錯覚していた…という話で、正体は貧困家庭の子供を救うサスペンス。
冒頭では幸せそうなジュリアとデビットの親子が描かれており、デビットが謎の怪人トールマンに連れ去られるホラー風味。
その後はジュリアが運ばれたダイナーで、街の人がグルになってジュリアを監視するなど、人間味あふれるホラーなのかとも一瞬思わせる。
しかし実はジュリアとその夫トールマンは、貧困が支配するコールドロックの街から子供を救う犯罪行為をしていた。
ジュリアとデビットが住んでいた家は、ジュリアが子供たちをトールマンに引き渡す前に洗脳し、本当の親を忘れさせるための隠れ家。
デビットの母親がそれを偶然見つけたことで、街の人にジュリアの誘拐が露見していた。
街のひとが一斉に逃げたジュリアを追ってサスペンスに突入する。
トールマンがジュリアの夫なら、冒頭でデビットが攫われたときジュリアがなぜあんなに狼狽したのか?
それはデビットをさらったトールマンは夫とは別人だったからである。
街の人はデビットの母親からジュリアが犯人と聞いてたので、街ぐるみでデビット奪還作戦をやっていたのである。
攫われたデビットは裕福な家庭ではなく、貧乏な母親の元に帰っていたことから、デビットをさらったトールマンがジュリアの夫でないことがわかる。
というわけで不幸の子を違法な方法で強制的に幸福にすることはどうなのか??というのが本作のテーマ。
コールドロックの街は並の貧乏ではない。デビットの家なんか超貧乏でほとんど廃墟だし、ジェニーの家もほぼプレハブ。
ジェニーの父は働いている様子がなく、母親トレーシーが働きに出ようと面接に行くシーンがある。
父は母に暴力を振るい、ジェニーは学校に行っていない。
ジュリアと夫はこんな街でまともに子供が育つわけはなく、子供に未来を与えたと考えた。
最初は役所に訴えたりと真っ当な手段でやっていたが、どうにもならない現実にぶち当たりイリーガルな手段に出るようになったことが、デビットの母との面会で語られている。
ラストでデビットは身なりも良くなり、経済的に幸福な家庭で幸せに暮らしているのが明らかになる。
ジェニーも言語障害が治り、学校に通い、化粧もするなどシンデレラ状態である。
しかし実母の記憶が残るジェニーの表情はどこか冴えない。
ジェニーがいなくなったあとのトレーシーの表情も今にも泣きそうでかなり切ない。
果たしてジェニーにとってどっちの家庭で育つのが幸福なんだろうか?この映画ではその答えを提示していない。
みなさんはどっちが幸福だと思いますか?